こんにちは。ウチセカです。
アナタは、スポーツか何かのファンで応援したりしてますか?
野球でもサッカーでもバスケでもなんでも、プロ・アマ限らずお気に入りのチームはありますか?
今日はこの応援することについてエントリしたいと思います。
ファンでいることの迷いや、応援することに対するネガティブな意見に悩んでいる人、応援することの意味について知りたい人のための記事
ウチセカ自身も以前、思い抱いた、「ファンって意味あるの?」という疑問を持つ方に向けて。
- 自分以外の他人の応援に何か価値があるの?
- 応援するチームが勝敗を決したところで、自分の生活・人生に何の意味があるの?
- 単純にファン心理が分からない。
- 「人の応援する前に、自分の人生を応援(=努力)しなさいよ。」という冷めた目で見てしまう。
- 自分ができないからって、人に託してるだけじゃないの?
- 今、プロチームのファンではあるけど、ファンでいることに迷いを感じている。
応援することで、自分の気持ちが高ぶるならば、アナタにとって大切なこと。誰かの応援は回り回って自分を応援してることになる。応援する人生があってもいいじゃないか。
このエントリで伝えたいこと。
- 人を応援する、ということはとても尊いこと。社会は自分だけじゃない。
- 応援することで、自分の活力も湧いてくるし、自分もがんばろうと思えるし、自分の心に熱が生まれる。
- シンプルに勝敗に一喜一憂することが面白い。勝って熱狂し、負けて悔しがることができる。
- 応援することに対して、冷水を浴びせるようなネガティブ意見は、臆病者の意見だから切り捨てましょう。
気になったアナタ、最後までお付き合いくださいね!
応援を止めてしまった過去。

ファン心理を存分に味わっていた過去、楽しかったなと思わず回想
昔、福岡ソフトバンクホークス(とその前のダイエーホークス)のファンでした。
当時は福岡に住んでいたからです。というのも、福岡に住むと分かるのですが、
テレビのローカル番組でもCMでも ホークスの情報や選手たちが頻繁に出てくるので
(それは潜在意識への刷り込みのように(笑))
親近感も湧いてきてホークスは身近な存在となるのです。
会社でもホークス談義に花が咲き、会話のキッカケやネタにもなります。
また、野球にも詳しくなるので、にわか評論家がそこここに生まれては持論を展開したりして、
色んな意見や感情を人と共有できるのも楽しいわけです。
スタジアムの福岡ドーム(現「みずほPayPayドーム福岡」)にも足を運んで観戦していました。
スタジアムでは、共同意識なのか「見えないナニカ、気持ちの塊、楽しい雰囲気」を肌で感じることができます。
良いプレイへの称賛やエラーへの落胆、得点につなげられない悔しさ、逆転勝利の歓喜など
一喜一憂すること、感情を動かすことが味わいとなっていました。
ファンを止めてしまったウチセカ
仕事の都合で転勤、上京しました。
新天地では不慣れな仕事に対応したり、東京というテレビの世界でしか聞けなかった地名に色々と足を運べたり、と忙しい日々の中で、次第にプロスポーツから遠ざかっていきました。
(TOKYO MXテレビ局という東京に合ってホークス戦を流してくれる稀有な存在もあったのですが(笑))
あれだけ身近だったホークスが、徐々に薄れていきます。
応援することに対して生まれる、ネガティブな意見
ファンを冷めた目で見る人がいる
東京での生活も長くなります。
日々の暮らしの中で、プロ野球やJリーグ(海外リーグ)ファンの人たちと接することも多々あります。
一様に彼・彼女らは、とても楽しそうに話しています。
ただ、ウチセカ自身も日々の労働の中で疲弊していたのでしょうか、生真面目にも考えていたのでしょうか、
表面上は話を合わせながらも、心の何処かで彼らを冷めた目で見てこう思います。
- 自分以外の他人の応援に何か価値があるの?
- 応援し、勝敗が決したところで、自分の生活・人生に何の意味があるの?
- 自分ができないからって、人に託してるだけじゃないの?
- 「人の応援する前に、自分の人生を応援(=努力)しなさいよ。」という冷めた目で見てしまう。
こうした湧き上がるネガティブが、より一層、応援する熱い自分を遠ざけていきました。
人を応援することは、回り回って自分を応援してるのだ

こうした冷めた見方に対し、一石を投じる何気ない風景に出逢います。
一生懸命の人を応援したくなるのが、人の本能。
夏のある日の出勤時、
道端の植木に座り込む小学生低学年の姉弟がいました。
植木の中に虫か何かがいるのでしょうか、2人は真剣な面持ちで手を伸ばして取ろうとしています。
でも中々取れないのか四苦八苦しつつも楽しそうで真剣な姉弟。
思わず心の中で「がんばれ〜!」と祈るのでした。
ウチセカはこの時にハッと気づきます。
ワタシ達は、本能的に一生懸命な姿を見て応援したくなる、ということを。

家族の影響でFC東京に近づいたウチセカ、思い出した、あの熱狂。そうかこの感覚だ。
その後、ウチセカは子どもがサッカーを習いはじめたことをキッカケに、
子どものサッカーチームや、地元のプロサッカーチーム「FC東京」のサポーター(ファン)になっていきます。
躍動する選手たち、その周りのコーチ・スタッフ達。
またそれを大きく応援するサポーターたち。
彼・彼女らの一生懸命の姿には、自分の心の奥底を揺さぶり、熱い思いが込み上げてきます。
「あぁ、そうだ、そうだ、この熱い思いだ!」
大好きなチームが負けたとしても、正直腹立たしくて仕方がないけれど(笑)
それでもこのチームを応援しよう!がんばれ!というこの熱い思い。
勝ったら勝ったで、よっしゃぁ〜っ!という嬉しい歓喜、
しょっぱい試合であったら、なんとも言えない気分なる熱くはないけど、感情は動きます。
このように自分の感情が突き動かすことは、巡り巡って自分の人生・暮らしをも動かしています。
熱い思いに火がつかない限り、人は動けない。応援は自分の心に火を付ける一つの手段です。
社会は、人を応援し、人から応援されて、回っている。
一生懸命な姿は、周りの人たちの気持ちを見えない力で引っ張ってくれます。
ファン・ワタシ達は応援で返し、そしてまた選手たちもがんばれる、、、
こうした相乗効果が自然と生まれるのがプロスポーツ、ひいては社会ではないでしょうか。
スポーツだけではありません。
例えば企業が何らかのサービスを提供する、例えばApple社がiPhoneを提供する。
ワタシ達はそれに魅了され、またiPhoneを使いたくなる、応援したくなる。
これもファンですよね。
車だったら、トヨタのアルファードが良いとか、ホンダのフリードを愛用するとか
人それぞれがそれぞれのお気に入りのサービス・商品があり、それを愛用し、社会は回っているわけです。
素敵な社会じゃありませんか?
ファン、アナタのお気に入りについて
ときどき冷めた他人や臆病な自分自身が、冷ややかな視線や、ネガティブな疑問を投げかけてくることがあります。
そんな時は、相手は疲れているんだな、コンディションが悪いんだな、可哀想だな、と思って流しましょう。
自分が楽しいんだったら、好きな範囲で、心地よい熱量で応援し、歓喜し、時に悲しみ、とことん感情の揺れを楽しもうではありませんか!
自分の人生を考えていないわけじゃなく、応援することで人の力にもなれるし、回り回って自分の人生の力になれるのだから。



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