ネガティブとは嫌な状況です。そんなの誰だって望んでないですよね。だけど、ネガティブだって役に立つんだということに気づきました。
変わろうと思っている人にとって、ネガティブは役に立つ
どういうことか。その状況に陥ってみないと、自分の学びを試せない、ということ。
例えば、執着を手放すと言っても、
文面を読んで「ふぅ〜ん」と理解したつもりで、実際に執着を手放したことがなければ、自分自身の納得感が生まれません。
そんなことに気づいたことがあったので、シェアさせてもらいます。
ネガティブな出来事がワタシに舞い降りました。。。
怒りの出来事がふりかかる
愛しの存在、週末サウナ!
スポーツジムで軽くジョギングしてから、ジムのサウナでたっぷり汗を流す。
このコンボは、ワタシにとっての極上のしあわせ。
これがあるから、平日の大変な仕事もがんばれる!
その週は、トラブルも発生してハードワークな日々。
色々あって、家事や家族病気の介護対応も必要だった前週末もあってサウナに行けなかったので、
この週末サウナへの渇望は乾ききった砂漠で水を求める感じでした。
そしてようやっと辿り着いた
はずが。。。
ルンルン気分で、スポーツジムの玄関の前。
ドアが閉まっている。何やら怪しい張り紙あり。。
「リニューアル工事中。11月1日〜11月14日」
・・・・・・・・・・・・え。。。えっ、ええっ、えええ~っ!!!???
2週間もの改装工事ぃ〜!?
気が遠くなりました。
楽しみが目の前でシャットアウト。
茫然自失、そこから怒りが沸点まで到達。。。
怒りはまた別の怒りを生む連鎖
念願のサウナだったんです、本当に待ちに待ったリフレッシュだったんです。
- ワタシ以外の妻・子どもたちが病気になり、看病や家事周り対応
- それが先週・今週2週間
- そのせいで先週のサウナはお預け
- 今週締め切りの資料作成作業があり、ひときわ作業負荷が高かった
- 仕事上のトラブルが3回も発生。収束作業にも追われる。
こうした事情から、沸き立つ怒りは、別の怒りを呼び込みます。
なぜ家族は病気にかかるんだ、とか
妻の病気の治りは遅くないか、とか
よりによってこのタイミングでトラブルが発生しちゃうんだ、とか
そもそも仕事量が多すぎやしないか、とか
ジムの連絡が突然すぎやしないか、とか
泣きっ面に蜂 状態が腹立つ、とか
もう雨後の竹の子のように次から次へと、怒りがまた別の怒りを呼び、色んな対象に怒りの思いをはせるのでした。
しばらくはもう怒りが収まらない状況でした。。。
怒りを少しの間、味わい尽くして。。
かといって、
実際に家族に当たり散らすことも、会社にもジムにも文句を言うこともしません。
したところで、事態は好転するはずもありませんしね。
かといって、無理やりポジティブに捉えようとしつつも、気持ちがついてこれません。無理したところで、所詮無理なもんは無理。
ポジティブは偽モノでしかないからです。
こうして、怒りの感情が自分の身体を燃やし尽くすかのようでした。
疲れて寝て、軽くリセット
怒りの感情が燃え続けるとどうなるか、、、それは疲れます。シンプルに疲れます。肉体的疲労ではなく、精神的疲労ですね。
相当怒りの量が大きかったんでしょうね、なんかもうぐったりきちゃって。。。気持ちを切り替えようとマンガを読もうと思っても、全然頭に入ってこず、結局はだんだんと眠くなるのでした。
いつもよりも随分と早く寝たのも良かったんでしょうね。起きてみると、脳がそこそこリフレッシュされました。悲しき出来事に対し、少し引いた、客観的な感覚で捉える、考えることができました。
脳のリセット、睡眠って本当に大切ですね。
脳のリセットが気づきをくれた2種類のネガティブ
怒りの状況から自分を引き離して考えられることが、簡単にできました。客観的です。
客観的に考えると、考え方の幅も広くなります。
そこで気づくこともあります。
まず気づけたのが2種類のネガティブ。
コントロールできるネガティブ と できないネガティブ
問題にはコントロール可能なモノと不可能なモノがあります。それはネガティブな状況も同じです。
自分の不注意など、自分のコントロール可能な問題なのか、
誰かの怒りや悲しみ、天災、突然の土砂降りなど、自分ではコントロール不可能な問題なのか。
今回のスポーツジムの改修工事は、自分のコントロールできない問題ですね。だから自分があーだこーだ言ったところで、工事が1日で終わりサウナが入れるようになる訳じゃないですものね。
「自分のコントロールできない状況なら、ワタシがどう怒り散らそうが、何もならないな、無力だな。」
気づきがまた別の気づきをくれる
ことわざ「のれんに腕押し」あまりの無力さに、怒るのがバカらしくなってきました。
考える幅に余裕が出てくると、新たな気づきを呼び込むのが人間のすごいところ。
勉強していたことを実践する場になっていたことに気づいた
「あれ、あの本に書いてあったことって、今まさにこの状況の言葉じゃないかっ!」
この頃、ワタシは中村天風さんの本を読んでいました。稲盛和夫さんをはじめ。名だたる経営者や実業家に影響を与えた方です。天風さんは言います。
理想的な人生を生きるうえで、注意のうえにも注意をしなきゃならないことは
- 怒っていけない
- 悲しんでいけない
- 恐れていけないこと
と説いています。
こうした状況にならなきゃ試せない、試さなければ自分の中で理解が
読書してる時の平穏な状況で、「うん、そうだよね」と思ってはみても、実際にその場になった時、本当にそうできるか、が真の理解になります。
本の内容も実践してみてからでないと、知識が知恵に昇華(消化?)できません。
ネガティブな状況に見舞われたお陰で、なんだか本当に理解できた気がしています。
学びは、結局その状況に追い込まれないと理解・納得できない
このサイトを読んでくれているアナタもきっとがんばりやさんなんだと思いますし、色々と勉強されていると思います。
勉強・学びを日々の暮らしや仕事、これからの明るい未来や夢に役立たせたいと奮闘されているのが、アナタやワタシだったりします。
学びの理由は、ネガティブな状況を乗り越えるためとも幸せになるためとも言えます。
だから、ネガティブって自分が納得するために必要なんだ
だからって、ネガティブがしょっちゅう来るのはゴメンですけどね。。。(笑)
コメント